日本は地震国でありながら今も木造住宅が全住宅の半分をこえています。
1995年 阪神・淡路大震災は全壊家屋10万5000戸、半壊家屋14万4000戸という未曾有の大惨事となりました。その全半壊の大半は木造住宅だったのです。
一方日本には1300年をこえる木造の薬師寺東塔や法隆寺五重塔などの歴史的建造物も数多く残っています。この歴史的建造物はなぜたびたびの地震に耐えてきたのか。
最後の宮大工と呼ばれた昭和の名工 西岡常一さんは「日本の建築は柔構造につきる、木の柔軟性を生かし、地震や台風にもゆれにはゆれて耐える柔構造によって守られてきた」と話しています。
阪神・淡路大震災の被災者となった前泉社長の住宅は、柱は抜け、床は波打つなど倒れなかったものの住宅は住めなくなりました。
当時、木造住宅の土台と柱をつなぐ金物は数多くありました。しかし、その多くは単に継ぎ目に補強板を打ちつけたり、溶接だらけの金物がほとんどで地震のゆれに対して、金物が頑丈なために木に負担がかかり、木が割れたり金具がはずれたりするものが多かったのです。
日本の木造住宅にぴったりの耐震補強金物を自分の手でつくる。それはすぐれたしぼり技術で建築金物の世界で独自の歩みをつづけるクニモトの技術力の挑戦でもあったのです。
クニモトは昭和最後の宮大工 西岡さんの「地震のゆれにはゆれて耐えることこそ、木造の建物の強みである」(『木に学べ』薬師寺 宮大工棟梁 西岡常一)のコトバをヒントに柔構造補強金物の開発をめざしたのです。
飛鳥建築を代表する法隆寺昭和の大修理、薬師寺西塔再建などを通して、木造建造物のすばらしさを守りつづけた昭和の名工。
そして地震の、「たて・よこ・ねじれ」あらゆる方向からの力を木とともにうけとめ、分散し吸収する金物の開発に成功したのです。
それがオールステンレス・一体プレス成型 耐震補強金物コボットなのです。
阪神・淡路大震災の時、倒壊したほとんどの木造家屋は土台から柱が抜けたのが原因でした。柱が土台から抜けないために、コボットの取組がスタートしたのは地震の直後からでした。その後、建築基準法が改正され、柱と土台には必ず柱が抜けないように接合部には耐震補強金物をつけることが義務づけられました。
それまでの補強金物は柱と土台をガッチリ固定したものがほとんどで、地震で柱が大きくゆれると柱に大きな負担がかかります。
コボットは、その独特の丸みで柱がゆれても、変形しながら柱とともにゆれることで、土台から柱は抜けることはありません。
そしてこのコボットにブレースを張ることで壁そのものも補強できると開発されたのが、今、国土交通大臣認定となっているコボットステンブレースシステムなのです。
壁の強さをあらわす基準には壁倍率という基準がありますが、これは壁そのものの強さをあらわす数値。しかし最近地震に対して壁そのものを、ただ強くするのではなく壁にも靭性、しなやかさを持たせることが地震に対して有効であることがわかってきました。
その結果、コボットのステンブレースシステムの壁補強が今とても注目を集めているのです。